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神戸地方裁判所 昭和57年(ワ)959号 判決 1985年3月14日

原告

山下睦雄

原告

木村弘

右両名訴訟代理人

前田修

筧宗憲

被告

日本運送株式会社

右代表者

大橋實次

右訴訟代理人

竹林節次

畑守人

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者

請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二雇用契約の内容の変更

そこで、請求原因2項について判断する。

1  同項(一)ないし(三)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  右事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  被告には、従来から企業別労働組合である日本運送労働組合(以下「日運労」という。)があつたが、被告の従業員のうち大阪店及び神戸店で海コンドライバーとして勤務していた五七名は、昭和五一年七月二〇日、全国的な産業別労働組合である全港湾に加盟し、同日これらの者により阪神支部日本運送分会(以下「分会」という。)が結成された。

しかし、全港湾の規約によれば、分会にはいわゆる労働協約締結権はなく、分会員の労働条件等につき被告と労働協約を締結する権能を有するのは、阪神支部及びその上部組織である全港湾関西地方本部であるとされている。

そして、春闘等において分会が要求する事項については、阪神支部がこれを分会要求として同阪部統一要求とともに被告に提示し、交渉の結果妥結すれば同支部が当事者となつて被告と協定書を交して労働協約を締結するという方式がとられてきているが、その場合には、同支部が事前に協定内容を分会に説明してその了解を得るのが同支部内における一般的手続である。

なお、現在被告には約六八〇〇名の従業員がいるが、そのうち右六五〇〇名は日運労の組合員であり、分会員は約八〇名である。

(二)  被告は従来五七歳定年制を実施していたところ、同五二年の春闘において阪神支部から分会要求として六〇歳定年制の実施を求められたため、同年五月二四日阪神支部との間で、定年年令を六〇歳とする旨の労働協約を締結した。ただし、同協約においては、五七歳から六〇歳までの間の労働条件を再雇用時の労働条件とする旨の条件がつけられていた。

右の再雇用時の労働条件とは、具体的には、①退職金は五七歳到達時に支払うこと、②一時金は通常の計算方法により算出される額の八〇パーセントとすること、③本給は五七歳到達時のそれの八〇パーセントとすること、④諸手当も五七歳到達時のそれの八〇パーセントとすること、⑤定期昇給は行わないこと、⑥ベースアップは一般従業員の五〇パーセントとすること及び⑦家族手当もしくは独身都市手当は支給しないことを内容とするものであつた。

そして、被告は、そのころ日運労との間でも右と同旨の労働協約を締結し、同年六月一日から右条件による六〇歳定年制を全社的に実施した。

(三)  右の経過により、被告の従業員は六〇歳まで雇用されることになつたものの、五七歳以降における労働条件は、五七歳に達するまでのそれに比して収入の面で低下することとなつたので、阪神支部はこれを改善するため、被告に対し同五三年冬の一時金要求闘争の際、分会要求として五七歳から六〇歳までの者に対する取扱いを一般従業員並にすることを求めたほか、同五四年及び同五五年の各春闘の際にもそれぞれ同旨の分会要求を提示した。

そして、被告と阪神支部は、同五四年の春闘時には、五七歳以上における労働条件のうち、前記②の一時金についてこれを通常の計算方式によつて算出される額の一〇〇パーセントとすること及び同⑦の家族手当もしくは独身都市手当についてこれを一般基準どおり支給するものとすることを内容とする労働協約を締結し、さらに同五五年五月一六日には、同③の本給についてこれを五七歳到達時のそれの八五パーセントとする旨の労働協約を締結し、このようにして分会員の五七歳以上における労働条件は徐々に向上した。もつとも、当時においては、現実に五七歳に達した分会員は一人もいなかつた。

なお、被告は右各労働協約を締結したのと同じころ、日運労との間でもそれぞれ同旨の労働協約を締結した。

(四)  阪神支部は同五六年の春闘に際し、同年三月一三日付で被告に対し一一項目にわたる分会要求を提示し、その中の一項目として、「五七歳から六〇歳までの者に対する取扱いを一般従業員並にすること」を掲げていた。

右要求は、実際問題としては五七歳以上の労働条件のうち本給及び諸手当について、これをいずれも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとすることを求める趣旨のものであつたが、阪神支部は同年中に五七歳に達する分会員がいたことから、被告に対し同年度において右要求を実現するよう強く求めていた(以下、被告従業員の五七歳以上における労働条件のうち、本給及び諸手当を一般従業員並にする問題を「五七歳問題」という。)。

被告は同年四月二三日、同年度の春闘要求全般につき最終的な回答をしたが、その中で五七歳問題については、本給及び諸手当とも五七歳到達時のそれの九〇パーセントする旨の前進回答を示していた。

被告と日運労は、同日被告の右最終回答をもつて五七歳問題を含む同年の春闘要求全般につき妥結するに至つたが、阪神支部は五七歳問題についての回答内容等を不満とし、結局被告と阪神支部は、同日五七歳問題のほか二項目の分会要求を除く事項については被告の右最終回答をもつて妥結することとするが、右の合計三項目の分会要求については引続き交渉を継続することとする旨の合意をした。

そして、被告と阪神支部は翌二四日、分会役員も立会の上で右三項目につき交渉を行つたが、物別れに終り交渉は決裂状態となつた。

しかし、その後同月二七日から右三項目の分会要求について被告と阪神支部との間でトップ交渉が行われる運びとなり、同年五月二八日まで七、八回にわたつて同交渉が行われた。

(五)  右のトップ交渉に主としてあたつたのは、被告側は労務問題担当で従来から阪神支部との交渉の責任者であつた高岡貞之取締役であり、阪神支部側は同支部書記長の梶浦正男であつた。

右交渉の席上において、高岡取締役は五七歳問題について当初はすでに日運労との間で妥結していることを理由に前記回答以上に前進させることはできないとしていたが、数回の交渉を重ねるうちに、同年度において前進させることはできないが同五七年度には前進できるよう被告としても努力したい旨述べるようになり、最終的には、同五七年の春闘時において本給及び諸手当とも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントに改善することとする旨発言した。

そこで梶浦書記長は、高岡取締役の右最終発言程度で満足せざるを得ないものと考え、同取締役に対し、被告と阪神支部が同五六年の春闘要求妥結事項につき作成調印することが予定されていた協定書の中に、同取締役の右発言内容を盛り込むことを要求した。

これに対して同取締役は、被告としては複数の労働組合が併存する状況において、一つの組合との間だけで労働条件の将来における是正の方向を確認し約束することは元来好ましいことではなく、ましてこれを広く公開される協定書をもつて行うというようなことは到底できることではないとして、右要求を拒否した。

そこで梶浦書記長は、右要求については撤回したものの、被告が同五七年度の春闘においては五七歳問題に関する分会要求に応じることについて、高岡取締役がその旨を口頭で確認しただけでは不十分であるとして、同取締役に対し文書で右の旨を確認することを要求するとともに、当該文書については阪神支部役員において保管し、分会にもその内容は知らせないし、同五七年の春闘において五七歳問題につき本給及び諸手当とも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとすることが実現されても右文書は公表しない旨申入れた。

高岡取締役は、右の文書確認の要求については被告内部で検討する旨答えたが、このようにして五七歳問題については同五六年度としては前記(四)記載の被告の最終回答をもつて妥結することが確定され、また、トップ交渉の議題とされていたその余の分会要求についても被告がこれを受け入れないことで結着がついたため、被告と阪神支部は同五六年五月一四日、同年の春闘における同支部統一要求及び分会要求について妥結した内容を本件協定書に記載してこれに調印し、その旨の労働協約を締結した。

本件協定書のうち五七歳問題に関する記載内容は、「本給及び諸手当(海コン手当、作業手当)について、五七歳到達時の九〇パーセントとする。」というものであつた。

(六)  その後被告は、梶浦書記長から申入れのあつた前記文書確認の要求について、右要求が高岡取締役のトップ交渉の席上における確認内容を被告が文書で確認することを求めるものにすぎず、しかも当該文書は全港湾内部においても公表しない旨の申入れがあつたことを踏まえて検討した結果、阪神支部との同五六年の春闘交渉を終結させるためには右要求に応じざるを得ないとの結論に達し、同年五月二七日までに次のような文書を作成した。

「昭和五六年五月二七日

全港湾阪神支部執行委員長藤本弘和殿

日本運送株式会社取締役高岡貞之

確認書

五七歳から六〇歳の労働条件について、八二春闘に於いて、現行五七歳到達時の本給九〇パーセント及び海コン手当九〇パーセントについては、それぞれ一〇〇パーセントに改善する。その他については従来通り。

以上」

そして、被告は同日、高岡取締役が右文書中の自己の名下にその印を押捺したもの(甲第一号証、本件確認書)を阪神支部に交付したが、梶浦書記長はその際被告に対し、同支部としては同五七年の春闘においても従来と同じ形式で五七歳問題の解決を求める旨の分会要求を提示するので、被告としては同春闘において日運労側に適切に対処されたい旨申入れた。

しかし、一方分会としては、本件確認書が作成交付された前日の同五六年五月二六日、分会会長の川本信人が阪神支部から、五七歳問題について、「はつきりしたことは言えないが、被告が誠意をもつて同五七年度の春闘では解決をするということで話がついた。」旨の説明を受けてはいたものの、本件確認書が作成されたこと及びその内容については、当時全く説明を受けておらず、実際にもこれを知らなかつた。

なお、本件確認書は右のとおり被告側が作成して阪神支部に交付したにすぎないものであり、同支部の執行委員長その他の役員がこれに署名し、又は記名押印をする等のことは全くされていない。

(七)  阪神支部は同五七年の春闘に際し、同年三月一〇日付で被告に対し合計一八項目にわたる分会要求を提示し、その中の一項目として、「五七歳から六〇歳までの者に対する取扱いを一般従業員並にすること」を掲げていた。

右要求は、具体的には五七歳問題につき本給及び諸手当とも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとすることを求めるものであつたが、阪神支部としては、前記トップ交渉の経緯、特に本件確認書の作成交付という事実からして、右要求を掲げれば被告は必らずこれに応じ、したがつて右要求の趣旨は必らず実現されるとの確信をもつて提示したものであつた。

ところが、日運労の同年の春闘要求には五七歳問題についての要求が含まれていなかつたため、阪神支部は同年度に前記要求の趣旨が実現されるかどうか若干の危惧を抱いていたところ、被告は同年三月一九日同支部に対し、被告の営業状況が思わしくないため五七歳問題の同年度における改善の約束については延期せざるを得ない旨申入れるに至つた。

阪神支部はこれに対して激しく反発し、被告と同支部との同年春闘要求についての交渉及び妥結は同年年末近くにまでもつれこみ、この間同支部は同年五月二六日付の申入書をもつて被告に対し、本件確認書に基づく五七歳問題の改善を「八二春闘終結と見做す四月度より実施すること」を要求する等したが、結局同年度においては五七歳問題についての分会要求の趣旨が実現されるには至らなかつた。

しかし、被告と阪神支部は翌五八年の春闘において、五七歳問題につき本給及び諸手当をいずれも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとする旨の合意に達し、被告は同年三月一六日からこれを実施して現在に至つている。

3  以上の事実を前提に、原告らの主張する雇用契約の内容の変更の有無を検討する。

(一)  請求原因2項(四)の主張について

原告らの右主張は、要するに本件協定書には、分会員の五七歳から六〇歳までの間の労働条件について、同五七年四月分の賃金からは本給及び諸手当をいずれも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとする旨の被告と阪神支部との間の合意が定められており、これは労働組合法一六条にいわゆる労働条件に関する基準を定めた労働協約にほかならないから、その規範的効力により分会員である原告らと被告との間の雇用契約の内容も右のとおり変更されたというにある。

しかしながら、そもそも被告と阪神支部が本件協定書作成当時において、原告らが右に主張するような合意に達していたものとは認められないことは、次の(二)(2)において判示するところから明らかというべきであるが、仮にこの点は措くとしても、本件協定書の五七歳問題に関する記載内容は、「本給及び諸手当(海コン手当、作業手当)について、五七歳到達時の九〇パーセントとする。」というものであり、これが「五七年四月分の賃金からは本給及び諸手当をいずれも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとする」旨の合意を定めたものであるとは到底解し得ないことが明らかであるから、原告らの右主張は採用することができない。

(二)  請求原因2項(五)の主張について

(1) 原告らの右主張は、要するに本件確認書には、分会員の五七歳から六〇歳までの間の労働条件について、同五七年四月分の賃金からは本給及び海コン手当をいずれも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントとする旨の被告と阪神支部との間の合意が定められており、これは労働組合法一六条にいわゆる労働条件に関する基準を定めた労働協約にほかならないから、その規範的効力により分会員である原告らと被告との間の雇用契約の内容も右のとおり変更されたというにある。

(2) しかしながら、そもそも本件確認書作成当時において、被告と阪神支部との間に、原告ら主張のような合意が成立していたものとは認められない。

確かに、被告は本件確認書作成当時阪神支部に対し、五七歳問題につき同五七年の春闘において本給及び諸手当をいずれも五七歳到時のそれの一〇〇パーセントに改善する旨の意思を示しており、同支部もこれに同意する旨の意思を表明していたから、ここに右改善に関する被告と同支部との合意が成立したことは明らかであるが、右の合意は同五六年の春闘における被告と同支部とのトップ交渉の中で成立するに至つたものであるところ、同支部は右交渉の経緯につき分会会長に対し、五七歳問題については「被告が誠意をもつて同五七年の春闘では解決をするということで話がついた。」旨の説明をしており、右改善が同春闘から実施されることになつたというような説明をしたものではなかつたこと、また、被告が右の意思を文書上確認するために作成された本件確認書には、「……八二春闘に於いて……改善する。」との文言が使用されていたうえ、同確認書が阪神支部に交付された際、同支部の梶浦書記長は被告に対し、同支部としては同五七年の春闘においても右改善を求める旨の分会要求を提示する旨明言し、実際にも同支部は同年の春闘において右分会要求を提示し、被告が同春闘において右要求に応じることにより右改善が実現されるものと考えていたこと、さらに同五七年の春闘において阪神支部は、日運労側の春闘要求に五七歳問題が含まれていなかつたことから右改善の実現に危惧の念を抱いたほか、被告が同春闘における右改善の約束の延期を申入れたのに対し、右改善を「八二春闘の終結と見做す四月度より実施すること」を要求する旨の申入れをしており、同支部としては右改善の実施が同春闘における妥結を前提とするものと考えていたとみられること等の諸点に徴すると、本件確認書作成当時において被告と阪神支部との間に成立していた右改善に関する合意は、本給及び諸手当をいずれも五七歳到達時のそれの一〇〇パーセントに改善するが、ただその実施時期については同五七年の春闘時からとするといものではなく、右改善を求める旨の分会要求につき被告が同五七年の春闘においてこれに応じることとし、その時点で阪神支部と右改善を行う旨の合意をするということを内容とするものであつたにすぎないものと認めるのが相当である。

(3)  そして、右のような合意、すなわち、将来の特定の時期において、ある労働条件について特定内容の合意を行うものとする旨の労使間の合意は、それ自体としては労働条件を直接に定めたものではなく、ただその合意において予定されている将来における合意が行われて初めて労働条件の内容が確定的なものとなるにすぎない以上、労働契約関係を規律するに足りる明確な準則としての意味内容を有するものとはいえないから、これが労働組合法一六条にいわゆる労働条件に関する基準を定めたものであるということはできず、したがつて、右のような合意は、規範的効力を有する労働協約には該当しないものと解するのが相当である。

(4)  さらに、労働組合法一四条は、労働条件に関する労働協約は書面に作成し、両当事者が署名し又は記名押印することによつてその効力を生ずる旨定めているが、その決意は、労働条件に関する労働協約が成立したとしても、右の要件をみたさない限り、労働協約としての一切の効力を有しないとするにあると解するのが相当であるところ、本件確認書には阪神支部の意思が全く表示されておらず、同確認書からは同支部がこれに記載された内容に同意する旨の意思を有していたことを窺うこともできないから、同確認書は、これが作成された当時において被告と阪神支部との間に成立していた前記(2)記載の合意を書面に作成したものとはいえず、他に右合意を書面に作成したものが存在することを認めるに足りる証拠はないから、右合意は労働協約としての一切の効力を有しないものというべきである。

(5) 以上により、前記(1)記載の原告らの主張は到底採用することができない。

三結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)

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